日本武尊が東国平定に向かわれたのは景行天皇40年(110)のことです。 帰り道、伊吹山にて大蛇にふれて痛み、伊勢に入り能褒野にて息絶えましたが、尊は白鳥になって飛び去りました。白鳥の飛び来たったところ全て尊の霊場として祀ったのです。
この『白鳥伝説』 が語り継がれているうちに、橘豊日尊ともまつわり合うようになってきました。
橘豊日尊は、第29代欽明天皇の皇子で、勅命を受けて東国巡幸の旅に出られました。東国の住民は心から喜んで迎え、立派な宮殿を造り奉献したといいます。ここで赤坂長者の娘玉倚姫(たまよりひめ)との恋物語を展開し、約三年間滞在されたと伝えられます。
玉倚姫は、世にもまれな美人であり、性格も温和貞淑で、尊の寵愛は募ります。
姫は、白鳥が飛び来たって胎内に入る夢を見てまもなく皇子が生まれました。尊は、入国以来白鳥を神と崇めて祈願した賜物と喜ばれました。都より帰還の命を受け、別れを惜しみ泣き叫び尊のそばを離れようともしない姫に、尊は「三年後には必ず迎えの使者を使わす」と納得させて帰られました。
心に焼きつく恋しい尊を想って三年を過ごした姫の元には使者は来ず、やがて病に倒れました。乳母は悲嘆にくれる姫を見るに偲びず、皇子を抱いて河畔に出ました。
「姫は今、尊を思い煩い、命を落とそうとしています。あなたは神様の化身だから、母上の身代わりになって、父君を呼び戻してください。」と祈り皇子を川の中に投じました。 すると、皇子は、不思議にも白鳥となって深谷の鳥越の里から大和目指して飛び立ったといいます。
やがて訃報が尊の耳に届き、姫のために立派な墓を建てて弔ったところ、日夜悲鳴していた白鳥が飛び上がり空中を旋回したと伝えられています。
ごく最近まで、白い羽を拾うと「これは白鳥の羽である」と言って、神様にお供えする風習が残っていました。白い羽を粗末に扱うと神罰があるというのは白鳥神化の思想の現れでしょう。